[節分]、早朝、谷汲山華厳寺に月参りしました


[節分]、早朝、谷汲山華厳寺に月参りしました。

仁王門では赤鬼さんが、お出迎えしています。

赤鬼さんの股くぐりをすると厄払いになります。

また、今日の12:00から本堂で厄払い行事があります。

 


西国三十三霊場・番外札所・東光山花山院菩提寺御詠歌の御朱印です


[西国三十三霊場・番外札所・東光山花山院菩提寺]

(住所)兵庫県三田市尼寺352

(電話番号)079-566-0125

(御詠歌) 「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」

花山法皇が観音霊場再興の旅の後、余生を過ごされたのが当寺の立つ阿弥陀ガ峰です。
花山法皇はこの地で41歳という生涯を終え、寺は法皇の菩提を弔う「花山院菩提寺」と呼ばれるようになりました。
御本尊のそばには法皇の法衣を着けた木彫像が祀られています。

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西国三十三霊場・番外札所・東光山花山院菩提寺の御朱印

 


西国三十三霊場・番外札所・華頂山元慶寺御詠歌の御朱印です


[西国三十三霊場・番外札所・華頂山元慶寺]

(住所)京都府京都市山科区北花山河原町13

(電話番号)075-581-0183

(御詠歌) 「待てといはば いとも賢し花山に しばしとなかん とりのねもがな」

薬師如来を御本尊とするこの元慶寺が西国三十三所観音霊場番外札所に入っているのは、 のちに観音霊場を中興した花山法皇がここで2年の歳月を送ったからです。
花山天皇即位後まもなく、右大臣藤原兼家が謀略によって出家させたと「大鏡」に書かれています。

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西国三十三霊場・番外札所・華頂山元慶寺の御朱印


西国三十三霊場・番外札所・豊山法起院御詠歌の御朱印です


[西国三十三霊場・番外札所・豊山法起院]

(住所)奈良県桜井市初瀬776番地

(電話番号)0744-47-8032

(御詠歌) 「極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじはちすの へだてやはある」

天平7年(735)徳道上人によって創立された法起院は、西国三十三所観音霊場巡拝の開祖であるということから、 番外として巡拝に組まれています。
養老2年(718)春、病で生死の淵をさまよっていたとき、夢の中に現れた閻魔大王から 「苦しむ衆生を助けるため西国三十三所観音霊場を創り、広めよ」と告げられたのが始まりであるとされています。
「徳道上人御廟所」と書かれた山門をくぐると正面に本堂である開山堂があり、 徳道上人が自ら彫ったと伝えられる御本尊が安置されています。
また本堂の左後ろには、「上人御廟十三重石塔」が立てられています。

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西国三十三霊場・番外札所・豊山法起院の御朱印


西国三十三霊場・第33番札所・谷汲山華厳寺御詠歌の(現在を表す)御朱印です


[西国三十三霊場・第33番札所・谷汲山華厳寺]

(住所)岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

(電話番号)0585-55-2033

(御詠歌) 「世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり」(現在)

西国三十三番満願霊場美濃国谷汲山華厳寺は「谷汲さん」の名でも親しまれ、西国札所の中で最も東の岐阜県に位置しています。
広い境内には巡礼の満願・結願の地として厳かな雰囲気があり、「笈摺堂」、「満願堂」、「精進落としの鯉」 を始めとする巡礼を終えた者のみが知ることが出来る喜びに満ち溢れ、一般の参拝客らもその雰囲気に引き込まれます。
また巡礼だけでなく、桜や紅葉の名所としても知られ、四季折々の自然の移ろいを味わうことが出来ます。

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西国三十三霊場・第33番札所・谷汲山華厳寺の(現在を表す)御朱印